相手になったり、自分になったり・・・

今日は、共感ということについて話そうと思います。

 

「共感を覚える」「共感を呼ぶ」「主張に共感する」

など色々な使われ方をする「共感」という言葉。

 

共感とはインターネット調べると、

<他人の考え・主張に、全くそうだと感ずること。その気持。同感。コトバンクより)>

とあります。

 

人間関係において、共感が大切と言われますが、相手に100%共感することってできるのでしょうか?

 

 

例えば、相手の言ってることの、

この部分は共感できるけど、

この部分は共感できないと思ってしまう。

 

例えば、相手の言ってることに、

共感すると相手の意見に従わなければならないし自分が無くなってしまう。

共感しないと相手に反発されたり、ぶつかり合ってしまう。

 

 

共感しないと人間関係が難しい。

でも、無理矢理、共感ばかりしていると自分が何者かわからなくなってしまう。

 

 

共感って難しいですよね。。。

 

では、

自分を保ちつつ、相手に100%共感することってできるのでしょうか?

 

結論から言うとできます。

そのためのキーワードが、「出たり入ったりすること」です。

 

何を言ってるかわからないですよね 笑

 

最近の研究でも、この世界はVRだとかスクリーンだとか言われるようになってきました。

実は、人間は共通の仕組みとして、幼少期に自分とはこう言うものだ!これが善で、これが悪だ!という「判断基準」つまり、その人個人のVRのメガネをつけて・固定してしまうんですね。

 

その判断基準・メガネに沿うものには共感できる、違うものにはできないとなってしまう。

だから条件によって、共感できたりできなかったりする。

 

本当に相手に共感するためには、

相手がどんなメガネをかけているのかを知り、

相手のメガネを自分もかけること。

 

それを通じて、初めて相手の観てる世界がわかるようになります。

 

そして、VRのメガネをつけたり外したり自由にできること。

自分のVRの世界、相手のVRの世界に「出たり入ったりすること」。

それをできることで、相手にもなれるし、自分にもなれる。

 

自分のしたいゲームを自由に楽しむことができるようになります。